マグロの絶滅を防ぐ「ノアの方舟」作戦
絶滅した種を取り戻そうとしても、取り戻すことはできない。もちろん、これは魚にも言えることだ。
前篇では、日本人が長く関わってきた魚たちの危機を伝えた。川は護岸化され、海では乱獲が進む。個体数が急減している魚は多い。特にサケ・マスやマグロなどの大型魚への影響は深刻だ。
魚を絶滅させないためにはどうすればよいか。東京海洋大学の吉崎悟朗准教授が見出した解は、生殖細胞、つまり卵・精子の保存だ。そしてこれを効率的に行うために編み出したのが「小型魚を"代理親魚"にし、大型魚の卵・精子をつくらせる」という方法だ。養殖技術で大型魚の子を孵(かえ)すには資金、労力、時間がかかる。そこ で代わりに小型魚に大型魚の卵・精子をつくってもらうわけだ。
ヤマメでニジマスの卵・精子をつくる。サバでマグロの卵・精子をつくる。こうした組み合わせで吉崎准教授は研究に取り組んできた。驚きの方法にも思える。だが、魚の生殖メカニズムを考え抜いた上での技術でもある。
ニジマスは全長50センチほどの大型魚。養殖は可能だが、成魚を水槽で育てて孵化(ふか)までもっていくのは大変だ。雌が卵をつくるまでに3年、雄が精子をつくるまでに2年と、成熟までの期間も長い。
一方、ヤマメは全長20センチほどの小型魚で飼育しやすい。成熟までの期間も雄で1年、雌で2年と短い。ヤマメが代理親魚となり、手間なく短時間でニジマスの卵・精子をつくってくれれば理想的だ。
「日本の鮭・鱒を守� ��たい。本心として、そういう思いからこの研究を始めました」と、東京海洋大学海洋科学部の吉崎悟朗准教授は話す。
ロッジポールパインのいくつかの特性は何ですか
ニジマスとヤマメは遺伝子的な距離も近い。とはいえ異種だ。生き物には、自分と異なるものが体に入ると退けようとする拒絶反応の仕組みがある。この拒絶の問題を解決するため、吉崎准教授は稚魚のヤマメを代理親魚に使うことを考えた。若い魚は拒絶反応を起こしにくいからだ。
稚魚のヤマメの体内に、ニジマスの白子から抽出した「始原生殖細胞」という細胞を入れる。この細胞は卵・精子のもと。ヤマメが成熟すれば、卵・精子をつくってくれるだろう。
だが、また新たな問題が現れた。「稚魚のヤマメが小さすぎて移植できないのです」
ヤマメの中でニジマスの卵・精子が輝いた
ヤマメの稚魚は体長わずか1.3センチ。卵・精子をつくる場であるヤマメの生殖腺つまり卵巣・精巣に、ニジマスの始原生殖細胞を直接入れるのは難しい。そこで、吉崎准教授は次の手を打った。「始原生殖細胞がてくてく歩いていくようにするのです」
細胞は、周りの化学物質の濃度勾配を感知して、ひとりでに動いていく能力を持つ。この仕組みを引き出す物質がヤマメにはある。これらの仕組みを利用して、ヤマメの体の適当なところにニジマスの始原生殖細胞を入れ、卵巣あるいは精巣まで"歩かせる"のだ。
実際に試してみた。ニジマスの始原生殖細胞には緑色に蛍光するGFPという遺伝子を組み込んでおく。何週間か後に、精巣や卵巣中の生殖細胞が光りはじめた。� ��れらがニジマス由来である証しだ!
だが、問題は残されている。ニジマスは1尾につき始原生殖細胞を100個ほどしかつくらない。これでは卵・精子をつくるための種が限られてしまう。
そこで、吉崎准教授は始原生殖細胞の代わりに、ニジマスが大量につくる「卵原幹細胞」や「精原幹細胞」という細胞を使うことを考えた。それぞれ、卵そして精子をつくるもととなる細胞だ。
まず、雄のヤマメにニジマスの精原幹細胞を入れてみると、やはり代理親魚はニジマスの精子をつくってくれた。
カメは冬に何をしますか?
驚くべきはここからだ。ニジマスの精原幹細胞を雌のヤマメに入れると、このヤマメは卵をつくったのだ。代理親魚の中で、精子のもとから卵ができたことになる。
「精原幹細胞と卵原幹細胞は代用が利くわけです。船に付ければスクリューに、飛行機に付ければプロペラになるようなもの。性を運命づけるのは器。つまり生殖腺が卵巣か精巣かが重要だったのです」
ヤマメが雌ならば、ニジマスの生殖幹細胞が卵原でも精原でもニジマスの卵ができる。ヤマメが雄であれば、ニジマスの生殖幹細胞が卵原でも精原でもニジマスの精子ができる。この組み合わせの自由さを吉崎准教授は実現した。
「実用化のことを考えれば、ヤマメとニジマ スの組み合わせは完成形といってよいと思います」
サバにマグロの卵・精子をつくらせる
次は「サバでマグロの卵・精子」だ。吉崎准教授には、海の大型魚マグロに対する思いがある。
「大学院生時代、マグロやカツオを釣りに初めて沖に出ました。マグロがイワシを追い上げていき、空を飛んでいく。水族館でなく太陽の下で見る魚たちは、それは美しかった」
海にはこんなすごい魚たちがいるのだと、あらためて衝撃を与えてくれたマグロたち。だが10年も経つと個体数の急減という危機が伝えられるようになる。「日本人たちが世界中でマグロを買い漁った結果です。あの魚たちを日本人が食べ尽くすのは、どう考えても疑問でした。マグロの数を増やすための研究の原動力になりました」
クロマグロは4〜5歳、体重100キロほどになると、ようやく卵・精子� �つくる。一方、マサバは1〜2歳で成熟し、体重も300グラムほど。マグロを養殖するよりはるかに手軽だ。そこで、サバにマグロの卵・精子をつくってもらう。基本的な手法は「ヤマメでニジマスの卵・精子」と同じだ。
どのようにプルトニウムを測定するのですか?
とはいえ「サバとマグロ」での新たな課題も起きた。クロマグロの卵原幹細胞や精原幹細胞をマサバの体内に入れても、「なかなか歩いてくれない」のだ。
吉崎准教授は"温度"に着目した。もともとクロマグロの故郷は南の海。これに合わせて、亜熱帯域で産卵するサバを使ってみる作戦を取った。
「問題は解決しつつあります。今夏、マグロの卵と精子が生まれることを期待しています。いまはサバが早く成熟するよう懸命に育てているところ。懸命に飼育すると、魚たちは答えてくれます」
作戦は奏功しそうだ。「サバにマグロを生ませる技術は現実的に見えてきました。ただし、それは私の中では第1段階です」
いま見えているのは、サバはマグロの卵・精子をつくるが、同時にサバの卵・精子もつくるといったものだ。「その次は、マグロしか生まないサバをつくりたい」と吉崎准教授は話す。サバからサバの卵・精子がつくられぬよう不妊化させる技術が重要となる。「サバについては、まだ時間はかかると思います」
「理想論を語っている時間はない」
代理親魚で卵・精子をつくる技術を高めた先には、危機にある魚たちの状況を、元に戻すという目標がある。
吉崎准教授がこの目標に近づくために取り組んでいる研究の1つが、卵・精子をつくる生殖幹細胞を凍結保存する技術の開発だ。仮に地球環境がさらに悪化し、サケ・マスやマグロがいよいよ棲(す)めない状況に陥っても、保存技術があれば少なくとも遺伝子資源は取っておける。魚たちが棲める環境が戻る日まで保っておくのだ。「ノアの方舟です。必要な時まで開けなくてよい。未来の時点で判断を下せるのが利点です」
魚の遺伝的多様性も確保したい。海などへの放流を考えたとき、遺伝子が単一でしかない魚たちは、環境変化で一気にやられてしまう恐れがある。遺 伝的多様性があれば、ある個体がやられても、別の個体は生き延びられる。
いま吉崎准教授は、多様なクロマグロから取り出した卵・精子の幹細胞を混ぜ合わせてサバに入れるという方法を考えている。「1匹の親なのに何匹分もの遺伝的多様性を持った卵・精子をつくることになる。混ぜた分だけ遺伝子の多様性に反映されそうです」
研究開発の出口には、マグロなどの高級魚を養殖するという産業目的もある。だが、研究の根本にあるのは、「危機にある魚を救う」という純粋な願いだ。
「絶滅が危惧されている状況は、日本人のせいだと思った方がいい。これまで高いお金を払ってまで魚を求めてきたのだから。責任ある漁業と技術開発をしなければなりません」
2048年までに、現在の魚、魚介類の種すべてが絶滅すると見られるとする論� �もある。絶滅が危惧される魚は多い。それでも世界中で魚の乱獲は続く。その勢いをつけたのは、乱獲をいち早く始めた日本と言えるかもしれない。
「人は理想論を語ろうとする。魚を食べなければいいではないか、と。そんな守れないルールを作っても意味がない。理想論を語っている時間はありません。その間に魚は死滅してしまうのです。私が魚を守るとしたら、どのような方法があるだろうか。現実的な方法として考え出したのが、いま私のしている研究なのです」
0 件のコメント:
コメントを投稿