☆バスでは
戸塚駅東口(モディ側)から『飯島団地行き』か『笠間十字路行き』での豊田小の停留所。バス通りを約100mもどった所です(約5〜10分)
☆歩きでは
駅東口を出て右に行きアピタのある上倉田交差点(駅から一つ目の信号)を右折してまっすぐ大船方面(南)へ。通り沿いの左手にあります(約25分)
☆歩きでは
駅東口を出て右に行きアピタのある上倉田交差点(駅から一つ目の信号)を右折してまっすぐ大船方面(南)へ。通り沿いの左手にあります(約25分)
・平成の開国だ!
・CO2 25%だ!
・南極大陸の氷が溶け海水が上昇する!
上記の、常識が覆されることになる。
地球温暖化で研究や開発されてきたことが180度転換する可能性が出てきた。
もちろん、国の政策も見直さなければならない事態になるだろう。
開国するのではなく鎖国して、食料をためないといけないような事態になりそうだ。。。
太陽が冬眠? 周期的活動に異変、地球に低温期到来か
朝日新聞
2012年4月20日6時59分
太陽の周期的な活動に異変が起き、「冬眠」に入って地球に低温期が到来する可能性があることがわかった。国立天文台や理化学研究所などが19日発表した。太陽の黒点の様子にも、過去に地球の気温が下がった時期と同様の変化が見られるという。
太陽には南北両極に正と負の極があり、約11年周期で同時に反転する。2013年5月に次の反転が始まると予測されていたが、太陽観測衛星「ひので」で観測したところ、北極では約1年早く反転に近づいていることがわかった。南極はそれほど変化がなかった。
このペースだと、12年5月に北極のみが反転し、太陽の赤道付近に別の極ができる「4重極構造」になるという。
太陽、北極で磁場反転か 「温暖化抑制の可能性」
産経新聞
2012.4.20 07:07 [宇宙]
今後予想される太陽の磁場の状況(左)。青がマイナスで、赤がプラスを表す。(右)は平成20年の状況 (国立天文台・宇宙機構提供
磁石のS極とN極がひっくり返るような磁場の反転が、太陽の北極で起きつつあることを国立天文台などのチームが観測し、19日発表した。通常は同時に反転する南極の磁場に、変化の兆しはなく、過去に地球が寒冷化した時期の太陽の状況と似てくる可能性があるという。常田佐久・同天文台教授は「地球の温暖化が抑制される可能性もあり、推移を見守りたい」と話している。
チームは、太陽観測衛星「ひので」で、太陽の北極と南極を観測。平成20年の観測では北極の磁場はマイナスの性質を多く持っていたが、23年には急激に減少、逆にプラスの磁場が現れた。今年5月には、マイナスからプラスへ完全に反転するとみられる。一方、南極の磁場はプラスのままだった。
太陽の磁場は約11年周期で反転し、次の反転は25年ごろと考えられていた。通常は北極と南極がいっぺんに変わるが、北極だけ反転すれば、17世紀半ばから18世紀初頭にかけて、地球に寒冷期をもたらしたような太陽の状況に似てくるという。
2020年から太陽活動が沈静化、ミニ氷河期到来か
ロケットニュース24
2011年6月17日
天文物理学者の最新の発表で、2020年ごろから最大10年間、太陽の活動が停滞期に入ることが明らかにされた。 専門家は、これにより地球に「ミニ氷河期」が到来すると予測している。
さらに地球を脅かす温暖化現象にも歯止めがかかる可能性が指摘されており、それらの説を立証する機会を前に多くの科学者や天文学者が胸を高鳴らせているようだ。
今回発表を行ったのは、アメリカ国立太陽観測所の研究チーム。彼らは、現時点で観測されいる太陽の3つの変化が、近い将来の活動の停滞を示唆していると主張。ちなみに以下がその3つの変化である。
・太陽黒点の減少
・太陽コロナと呼ばれる太陽周辺の散乱光の減少
・太陽表面のジェット気流の消失
いずれも11年ごとに変動する太陽の活動サイクルによって増減する現象であるが、今回予測される活動低下のレベルは1645~1715年の「マウンダー極小期」以来。因果関係は立証されていないものの、当時地球は著しい寒冷期を記録しており、今回のサイクルにおいても、ミニ氷河期が訪れる可能性はかなり高くなっているようだ。
!doctype>作 る!小さな天体望遠鏡
vol.3 望遠鏡本体をつくる
観望用のお気軽望遠鏡と して月から星雲まで、そこそこ見えるように、 口径100mmの短焦点屈折式 としました。
市販の入門機の口径は60mmくらいですが,光害が進んだ今の環境では、星雲星団を見るには 集光 力が物足りないと思います。
かといって、ひたすら口径が大きければ良いかというと、分解能、集光力の増大と引き換えに大きく重くなっ ていきます。
どこかで現実的な妥協点を 定めなくてはなりません。
現在、マニア向け機材では 口径100mmの 短焦点の屈折式望遠鏡が人気で、その高性能な対物レンズを以前より安く入手できます。
それを越えると急に高くなります。
金に糸目をつけない自分だけの逸品を作るのなら口径の大きいレンズでも構いませんが、この連載の趣旨は、ひとつの新しい望遠鏡スタイルの提案でもありま すから、コスト度外視というわけにもいきません。
本音はわたしが貧乏なのだけ?(‾_‾;)
反射式にすれば安く出来るので,HE01で は 短焦点の主鏡を採用してみました。
すると,コマ収差をはじめとした光学的な制約が無視出来ないと実感しました。
そこで、今回は屈折式を試してみることに します。
入手しやすい価格の上限ということで、口径100mmとしました。
この口径100mmには、第2回の構想で掲げた、「広い視 界」を得るためにも適当であるいえます。
なぜ口径が視界の広さと関係あるのでしょう?
それは、有効最低倍率が、人間のひとみの径で決められてしまうからです。
みかけ視界50度程度の接眼鏡が入手しやすい価格ですので、仮にそれを使用するとしましょう。
平成23年7月31日
あなたも1日天文学者。星の観察をしよう!夏の夜空を見上げて夏の大三角を見つけよう。
しかしながら,あいにくの曇天,屋内での映像学習となりました。
大島コミセン水越館長から開級にあたり子どもたち |
本日の講師,中川 義通(よしみち)先生は水戸市 |
ちびっこ天文学者の面々,熱心に耳を傾けます。 | 星座の勉強だけでなく,最後を迎えるスペースシャトル |
地殻の色は大体なんとなく想像出来ます(岩だから岩の色である)し、内核の色は数千度の鉄とニッケル、という事で、まあ、真っ赤っかだろうと想像出来ます。
!doctype> デジタルアート館がどうしたとかハイテクプラザが必見とかそんなことはどうでもヨい。狙うは粘着ヒトデ王の首ひとつ。暑さの残る仁川であったが私は粘着ヒトデ王を会場内くまなく探し回った。どこなんだ粘着ヒトデ王は!?
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Ommastrephes bartramii、英名をneon flying squidやred squidという太平洋に多くいるイカで、地中海やエーゲ海で見かけるのは非常に珍しいそうです。日本で言う赤イカ(ケンサキイカ)とは違う種類のようです。写真のはサモス島沖に打ち上げられた体長1.63m、9キロのイカ。
そんなおとつい、仕事帰りのダンナの手にはタイミングよく大きなイカが。
釣りをしないんで詳しく知りませんが、ここらの漁師は定置網にひっかかった魚を売るシステム。イカがかかることはほとんどありません。夜になると港にはイカ釣りを楽しむ人がちらほらいますが、魚屋がイカやタコを持ってくるのは滅多にないチャンスです。
!doctype> [注] この文書は, IAU Commission 20 (小惑星, 彗星, 衛星の位置と運動に関 する国際天文学連合の委員会) のサーキュラーに掲載されたBrian G. Marsden の文章の日本語訳(要約)である. 内容に関する御意見は, 訳者の相馬充 (国立天文台)
見た目もいいし
味もいい味です!
中国料理〜美味しいけど辛いです
韓国料理〜見た目も悪いし味は不味いですね!
どんな和食を食べたのかわかりませんが
塩分の取りすぎに注意!
ぼくは日本人ですが、和食よりオージービーフの
方が美味しいと思いますよ!
あなたも非国民と言われないようにOZビーフをたべましょう!
(⌒〜⌒)ニンマリ
いくぜマジレス。
1年=365.2422日とした場合、366.2422回でどうでしょう。まあ、およそ366回。
1日というのは正確には地球の1自転ではなく、地球が自転して同じ面を太陽に向ける間隔。
!doctype>| ϕ̌TĂ܂BuނƂǍmׂvƂ 邻łAϕŏɎô͒N̂ł傤B P.ϕƂ x ̊ H(x) ^ꂽƂ,萔F F=-log \int exp(- H(x))dx ƒ`܂.܂,mz q(x) ̔Ċ f(q) f(q)=\int q(x)[log q(x)+H(x)]dx ƒ`܂.̂Ƃ F=min_{q\in Q}f(q)---(Fϕ) 藧ƂϕƂ܂. Q͊mzŜ̏W\܂.(Fϕ)́A wIȓłāAR�͖{̐擪, ϕ,M͊w̒莮ɂďdvł邪,ꂾł͂Ȃ, ɂĂ,\I̗ʎq_Am\t͊wnɂ, ɂ߂ďdvȖʂ,ƏqׂĂ܂. \_I̗ʎq_,Am\t͊wn̘b,Ƃ w̘błBϕ,ꂼ̕ɂ wƂĂ̗_̌nĂƂɏdvȖʂ ƂƂ҂͏qׂĂ̂Ǝv܂. (Ȃ킿AM͊wƏ̗ʎq_,wIɋʂ镔܂A R@ƂĂ͒ڂ̊֘ÂȂ̂l@̑ΏۂƂ܂). |
天文学者が望遠鏡をのぞくと、そこには何十億という星が見えます。 どのようにして彼らはそれら全ての星を理解しているのでしょうか? どのようにして彼らは星を分類し、どの星が一般的で、どの星が珍しいかを 区別しているのでしょうか? また、最も重要なことは、彼らはその星のタイプをどのように用いて 有用な情報を引き出しているのか?、ということです。
!doctype>in A House Built on Sand: Exposing Postmodernist Myths about Science, edited by Noretta Koertge (Oxford University Press, 1997)
(Original text:
Alan D. Sokal (April 8, 1997)
田崎 晴明 訳
Copyright: 1997 Oxford University Press. 著者を通じて翻訳を web 上で公開する許可を得ています。
個人的な使用以外の目的でファイルをコピーしたり印刷したりしないで下さい。 ファイル全体を他の web site で公開することもできません。 部分的に引用していただくのは結構ですが、その場合には、このページへのリンクをはるか url ( を明示するかして下さい。 (その他、翻訳についての詳細。)
このページへのリンクはご自由にどうぞ。
「「知」の欺瞞について」のページへ
私がこの本を書いたのは、よく引用される古典ありのままの内容を正しく伝えるためだけではない。 私にとってのより大きなターゲットは、科学哲学の成果を身勝手に流用して、それらが到底あてはまらないような様々な社会的、政治的な主張の裏付けにするという試みを執拗にくり返す同時代の人々なのだ。 フェミニスト、(「創造説科学者」を含む)宗教の擁護者、カウンターカルチャリスト、新保守主義者、そして、その他諸々の物好きな同類たちは、たとえばパラダイムの通約不可能性や科学理論の非決定性といった考えが、彼らの立場を支持する重要な材料になると主張している。 事実と証拠こそが大切だという考えを捨てて、すべては結局のところ主観的な興味やものの見方に帰着してしまうという考えを取ることは、(アメリカの政治キャンペーンを除けば)今日もっとも顕著で危険な反知性主義の現れである。
--- Larry Laudan, Science and Relativism[1]
正直なところ、科学史、科学社会学、科学哲学についての批判的研究を集めたこの論文選集のイントロ的なエッセイを書くように頼まれて、さすがの私も少々とまどっている。 何と言おうと、私は、歴史家でも、社会学者でも、哲学者でもない。 私は、科学哲学に素人なりの興味をもっていて、 ひょっとするとものごとをきちんと考える技術を少しは身につけている一介の理論物理学者に過ぎないのだ。 ソーシャル・テクスト誌の共同創刊者のスタンリー・アロノヴィッツは、私のことを「半教養人の涜書家[2][訳注1]」と評したが、ああ哀しいかな、彼は完璧に正しかったのである。
読者もご存じだろうが、この分野への私の貢献は、一風変わった(そして、どう考えても制御の難しい)一つの実験から始まった。 私は「境界を侵犯すること --- 量子重力の変形解釈学に向けて」と題したポストモダンの科学批評のパロディーを書き、(もちろん編集者にはそれがパロディーだとは告げず)カルチュラル・スダディーズの雑誌ソーシャル・テクストに投稿したのだ。 ソーシャル・テクスト誌では、彼らのいう「サイエンス・ウォーズ」を特集した 1996 年春の特別号に、このパロディー論文を、まじめな学術論文として掲載した[3]。 その三週間後に、私はリンガ・フランカ誌に寄せた記事[4]で、このいたずらを暴露した。 かくして、どんちゃん騒ぎの幕が切って落とされたのだ[5]。
このエッセイでは、「ソーシャル・テクスト事件」から何がわかって、何がわからないかについての私の考えを簡単に議論したい。 だがその前に、私は自分の「縄張り」に社会学者が入ってくることを一切許さない傲慢な物理学者だという濡れ衣を着せられることのないように、私が科学の社会的研究から得られるだろうと思っているプラスの事柄をいくつか挙げておこう。 以下の点については、異論がないことを願っている。
1) 科学も人間の営みの一つであり、他の人間の営みと同じように、厳密な社会的分析を行う価値がある。 どのような研究テーマが大切だと考えられているのか、研究予算はどのように配分されているのか、誰が名声と権力を手に入れるのか、公共政策についての議論において科学の専門知識はどのような役割を果たすのか、科学知識はいかなる形で誰の利益のために科学技術として実現されるのか? これらすべての点は、科学の研究の内部での論理のみならず、政治的、経済的な、そしてある程度はイデオロギー的な要素に強く左右される。 これらの問題は、歴史学者、社会学者、政治科学者、経済学者による現実に即した研究の実り豊かな題材になるはずだ。
2) より微妙なレベルでは、どのような理論が発案され考察の対象にされ得るのか、競合する理論を比べるのにどのような基準を用いるべきなのかといった科学の論争の中身さえもが、部分的には、時代を支配する精神に縛られている。 そして、時代の精神というものは、部分的には、根深い歴史的な諸要因から生まれてくるものなのだ。 一つ一つの実例について、科学の発展の筋道が決まっていく段階で「外的な」要因と「内的な」要因が果たした役割を選り分けて吟味することは、科学史と科学社会学のテーマである。 このような問題を考えるとき、科学者は「内的な」要因を重視しがちで、社会学者は「外的な」要因を重視しがちになる。 科学者と社会学者が、お互いの考えをよく理解し合ってていないという理由だけからでも、そうなることは納得できるだろう。 しかし、こういった行き違いは、必ず合理的な論争によって解決を図ることができるはずだ。
3) 政治的な目標を実現するための研究も、その目標のために目がくらんで都合の悪い事実が見えなくなってしまうようなことがなければ、決して悪いものではない。 実際[6]、人類学風の疑似科学や優生学に対する反・人種差別主義の立場からの批判[7]や、心理学および医学と生物学の一部に対するフェミニストの立場からの批判[8]のような、科学への社会・政治的批判には、長く実りの多い歴史がある。 こういった批判は、一般に次のような決まった手順を踏んで行われる。 まず最初に、よい科学の満たすべき通常の基準に照らしたとき、問題にしている研究には欠点があることを、通常の科学的な議論によって示す。 それが終わった後で、というよりも、それが終わった後でのみ、もう一歩踏み込んで、その科学者たちが何らかの社会的な偏見(それは無意識のものかもしれない)をもっていたがために、よい科学の基準を破ることになってしまったことを説明しようとするのだ。 もちろん、そういった批判がうまくいくかどうかは、批判それ自身の真価から決まる。 よい政治的な意図をもっているからといって、よい科学、よい社会学、よい歴史学を生み出せるという保証はないのだ。 けれど、このような二段階のアプローチは、一般的にいって、正しいものだと私は思っている。 そして、現実に即したこのような研究を、十分な知的厳密さをもって行えば、どのような社会的条件のもとでよい科学(慣例に従って、この世界についての真実、あるいは近似的な真実の探究と定義することにしよう)の発展が助長され、あるいは阻害されるのかという問題に光をあてることができるはずだ[9]。
科学史や科学哲学の意義のある研究テーマが、これらの三点に尽きるなどというつもりはない。 けれど、これらが広範囲に及ぶ重要な研究分野だということは確かだろう。 それにも関わらず、この二十年ほどの間に、一部の社会学者や文芸理論家たちは、もっと欲張りになってきてしまった。 大まかにいってしまうと、彼らは、科学研究はこの世界についての真理や近似的真理の探究であるという大元の考えを攻撃したがっているのだ。 彼らは、科学は単なる社会的な営みの一つにすぎず、そこから産みだされる「物語」や「神話」は他の社会的な営みから産みだされるものに比べて特に正しいわけではないと考えたがっている。 一部の人々は、さらに踏み込んで、科学という社会的な営みには、ブルジョア的・西欧中心的、男性上位主義的な世界観が焼き付いていると主張しようとしている。 もちろん、短い要約の例にもれず、このようにまとめてしまうのは単純化のし過ぎではある。 いずれにせよ、「新しい」科学社会学をみたところで、明らかな指導原理があるわけではなく、いやになるほど多種多様な研究者がいて学派があるだけなのだ。 そして、もっと大切なこととしては、この分野の文献は、もっとも肝心な部分がどうしようもなく曖昧に書いてあることが多い(これは、後でラトゥールとバーンズ=ブルアの例でみることにしよう)ために、適切な要約をするのが難しくなっているという事情もある。 それでも、ほとんどの科学者や科学哲学者は、有名な社会学者ハリー・コリンズがいうように「科学知識の形成には、自然界はほとんど、あるいはまったく影響を及ぼさない[10]」ことや、ブルーノ・ラトゥールとスティーヴ・ウルガーのいうように「現実というものは」彼らのいう「事実の社会的構築」の「帰結であって、原因ではない[11]」ことを知れば、大いに驚くに違いない。
以上の前置きをした上で、「ソーシャル・テクスト事件」から(そもそも何かがわかるとして)何がわかるかを考えてみたい。 そして、私の熱心すぎる支持者が行き過ぎた主張をすることもあったので、この事件からは何がわからないかも考えたい。 このような分析をする際には、パロディー論文が出版されたという事実からわかることと、論文の内容からわかることを区別することが大切である。
パロディー論文が出版されたという事実だけからは、大したことはわからないと私は考えている。 それによって、カルチュラル・スタディーズ、あるいは、科学のカルチュラル・スタディーズという分野全体が無意味だとか、まして科学社会学に意味がないといったことが示されるわけではない。 また、これらの分野での知的水準が一般的にいって厳しさを欠くことが示されるわけでもない。 (実際にそうなのかもしれないが、それを示すためには別の根拠を持ち出さなくてはならない。) やや風変わりなたった一つの雑誌の編集者が、その知的な義務を怠ったことが示されるだけなのだ。 彼らは、単に(ソーシャル・テクスト誌の共同編集者ブルース・ロビンスが後に認めたように[12])「うまい具合に信用ある立場にいる味方」が書いたものであり、編集者たちのイデオロギー的な傾向にくすぐっていて、彼らの「敵」を攻撃しているというだけの理由で、自分たちには理解できないと認めている量子物理についての論文を、専門家の意見を一言も聞かずに、雑誌に掲載してしまったのである[13]。
だから、どうしたの[14]? これだけの話なら、そう尋ねたくなるのももっともだろう。
パロディー論文の内容を検討すれば、このもっともな疑問への答えが得られる。 ここでいっておきたいのだが、私の論文についての議論の中で、一つの重要な点が見落とされていることが多い。 そう。 この論文は滅茶苦茶におもしろい。 私は控えめな人ではないし、この作品には誇りをもっている。 けれども、この論文の一番笑えるところを書いたのは、私ではないのだ。 もっともおもしろいところは、ポストモダンの大家の文章のそのままの引用であり、私はそれらに嘘の賛辞を浴びせたのだ。 実のところ、この論文の骨格は、フランスやアメリカの名高い知識人が数学や物理(及び数学や物理に関する哲学)について書いたものの中で、私がみつけた限りでは、最高に馬鹿馬鹿しいものの引用でできあがっている。 私がやったのは、これらの引用を結びつけ褒め讃えるための無意味な議論をねつ造することだけだった。 もちろん、その際には、脱構築流の文芸理論、ニュー・サイエンス風エコロジー、いわゆる「フェミニスト認識論[15]」、極端に社会構築主義的な科学哲学、さらにはラカン流の精神分析などの流行の思想のでたらめなごった混ぜも並べ立ててみせたのだが、これによってパロディー論文はいっそう笑えるものになった。 場合によっては、私自身がより穏健で正確な形で信じている考えの極端で曖昧なバージョンをパロディーに使いもした。
では、私が「馬鹿馬鹿しい」というのは、正確にはどういうことだろうか? ごく大ざっぱに二つの範疇に分類してみよう。 一つ目は、無意味な主張や馬鹿げた意見、知ったかぶり、まがい物の教養をひけらかすことなどである。 二つ目は、ずさんなものの考え方(sloppy thinking)と薄っぺらい哲学で、これら二つが軽薄な相対主義の形をとって同時に現れることが(いつもではないが)実に多い。
もしも量子力学やゲーデルの定理について論じたてて恥をかいている文学部の助教授あたりだけを相手にしているのなら、この一つ目の範疇はさして重要ではないだろう。 けれども、大学の書籍部のカルチュラル・スタディーズのコーナーに占める割合で測る限りにおいては重要な知識人とみなされる人たちを相手にしている以上は、この点もはるかに大切になってくるのだ。 たとえば、ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリはカオス理論について次のように書いている。
!doctype>(C)TOSS-TWO-WAY/wZ//SNTNUN/F/F/Fsm/
@FsḿAHׂĂ邩H@
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@ c@Lsnrr^r
!doctype>プロメガ製品 Q&A
〜 PCR &RT-PCR、TAクローニング 〜
| TAクローニング |
[メニュー]
Q.pGEM®-TおよびpGEM®-T Easy Vector Systemを使うとどれぐらいの形質転換効率が予想されますか?
Q.コンピテントセルはどのように扱うのが適切ですか?
Q.T-Vectorに確実にクローニングするためにどれぐらいの効率のコンピテントセルが必要ですか?
Q.どのようにコンピテントセルの効率を測定するのですか?
Q.どのような要因がライゲーション効率に影響しますか?
Q.T-Vectorの総合的なクローニングの効率に影響するその他の要因は何ですか?
Q.pGEM®-T Vector、pGEM®-T Easy Vector、pTARGET™ Mammalian Expression Vectorのような T-Vectorへのクローニングに適した耐熱性酵素はどれですか?
Q.pGEM® -TおよびpGEM® -T Easy Vector Systemを使うとどれぐらいの形質転換効率が予想されますか?
推奨するプロトコールに従って、添付のControl Insert DNAをライゲーションし、高効率のコンピテントセル(>1 x 108cfu/μg)に形質転換した場合、少なくとも100個のコロニーが現れます。現れたコロニーの内、60%以上はControl Insert DNAがクローニングされたプラスミドを含む白いコロニーとなります。Control Insert DNAを加えずにライゲーションを行い、>1 x 108cfu/μgのコンピテントセルに形質転換した場合、通常10〜30個の青いコロニーが得られます。(PN68-Q&A)
|メニュー|QAもくじ|日本語ホーム|
Q.コンピテントセルはどのように扱うのが適切ですか?
コンピテントセルの高い形質転換効率を維持するために以下の点に注意してください。 凍結/融解を繰り返さないください。効率は融解するごとに低下します。200μlのコンピテントセルが入ったバイアルを融解し、形質転換を行った場合、残りのコンピテントセルは再凍結せずに廃棄してください。 氷上で融解し、融解後はすぐに使ってください。 コンピテントセルは崩壊しやすいので、ボルッテクスにより形質転換効率は著しく低下します。ピペッティングで穏やかに混ぜ、形質転換の前にDNAを加えてください。 ある種のチューブではヒートショックが不充分になり、50%までの効率の低下が起こることがあります。このような場合には、滅菌した17×100(mm)のポリプロピレンチューブを使うことを薦めます。
いらっしゃいませ。お飲み物は何になさいますか?
ジンジャーエールください。
先生は、どのような研究をなさっていますか?
私の研究分野は、化学生物学(ケミカルバイオロジー)です。生命が体の中で行っていることは、その大本を調べていくと、体内にある分子同士がくっついたり、離れたり、分解されたり、合成されたりしていることに行き着きます。体の中の分子は、そのほとんどが炭素を骨格とする分子(これを有機化合物といいます)から作られています。DNAとかタンパク質とか脂肪とかは全て有機分子です。体の中にある有機分子の働きや反応の仕方を化学的な手法を使って研究するのが、化学生物学です。
化学的な手法というのが、よくわかりません。どんなやり方ですか?
小さな有機分子を使います。下の図を見てください。
赤い丸がアセチルコリンという有機分子です。アセチルコリンは、細胞上にある黄色のタンパク質受容体と結合します。そうすると、細胞は、細胞内で作った分子を細胞 の外に分泌することがわかっています。
アセチルコリンが黄色のタンパク質受容体と結びつくことで、細胞に分泌という変化が引き起こされました。この図の黄色の分子のように、一般に体を作っている分子 は比較的大きな有機分子(生体高分子といいます)であることが多く、その分子は、アセチルコリンのような相対的に小さな分子(これを低分子といいます)と結合することにより働きが調節されています。
化学的な手法というのは、低分子を用いることによって、細胞の変化を引き起こし、その変化の様子を調べる手法なのです。最近では、送り込まれた低分子が、いつどこで、生体内のどの分子と、どのような反応をしたかを追跡できるようにもなってきました。まるで細胞内の大事な情報を教えてくれるスパイのような働きをしてくれる低分子もあります。
そういう小さな分子はたくさんあるのですか?
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